「壁」　ラニタリ　３

翌日から、ラニタリは『壁』を乗り越える為の練習を始めた。正確には一つ目の『壁』と二つ目の『壁』の間に横たわる、穴を越えるための練習であった。穴を越える方法は特に決められてはおらず、どのような方法を用いても良かった。基本的に、その方法はそれぞれ親族グループで継承される。父から子、あるいは兄から弟へと引き継がれる慣わしであった。
捕らえた動物の毛皮を加工して、一種の防護服を作り、その防護服を来たまま、茨を掻き分けて進む方法。あるいは、ニ枚の木の板を橋のように交互に茨の上に渡し、その上を通る方法。地道に茨を切り開いて進む方法と、多種多様である。しかし、穴を越える際に重要になるのは、そのスピードである。穴のある位置は、ちょうど見張りからは丸見えになっており、橋を渡す方法や茨を切り開く方法は時間が掛かるため、見張りからの射撃により怪我をする可能性が非常に高くなっていた。
練習は皆の寝静まった夜に行うよう、ラブラカからきつく言われている。親族グループは、それぞれの持つ穴を越える方法を、他のグループに知られないようにする。儀式において、その成功こそが最も評価される要素であり、どんなに時間が掛かろうとも煙さえあげさせることが出来れば成功とみなされる。ただ、煙を上げるまでのスピードが早ければ早いほど、その者の評価は高まり、その親族グループは他のグループから一目置かれるようになる。ラニタリの父親が族長になることが出来たのは、ひとえにその親族グループの『壁』を越える早さがあってのものだった。一種の秘伝ともいうべき方法を用い、儀式の度にグループの評価を高め続けた積み重ねの結果であった。
彼らの秘伝の方法を知ろうとする他のグループも少なくない。ラニタリにも、その秘伝を知られてはならない義務があった。
ラニタリは『壁』に見立てた岩に向かって、ひたすらに縄を投げ続けた。縄の先には鉤爪状に加工された動物の牙は括り付けられており、岩の向こう側の岩肌に引っ掛ける練習である。五枚ある『壁』の全てに、ねずみ返しのような突起が設けられており、実際の儀式の際にはその突起に牙を引っ掛けることとなる。
ラニタリの親族グループに伝えられる方法は、一つ目の壁の上から、ニつ目の『壁』へ縄を投げ、その縄を伝ってニつ目の『壁』の上へと到達する方法であった。この方法を用いれば、穴を越えるのが容易であるのに加え、２つ目の『壁』を登る時間も短縮することができる。非常に優れた方法と言わざるを得ない。しかしこの方法は非常に難度が高く、鉤爪を正確にニつ目の『壁』に引っ掛けることが出来るかが最大のポイントとなっていた。
「クソッ。」
岩に弾かれる音とともに、鉤爪が地面に叩きつけられる。もうどれだけ縄を投げただろうか。ラニタリはまだ１度も鉤爪を引っ掛けることが出来ていなかった。両手は縄により擦れ、血が滲んでいた。
ドウッと音を立て、ラニタリは地面に倒れこんだ。全身に疲労を感じる。眉毛の上から垂れた汗の粒が目に染みて、ラニタリは目を瞑った。昼間、ヤルマに投げつけられた言葉を思い出した。
「どうせ泣き虫ラニーにはできっこない。儀式は失敗に決まってる。」
「そんなのやってみなきゃわからないだろ。」
ラニタリはすぐに言い返したが、ヤルマは憎たらしい表情のままだった。ヤルマはラニタリと同じ年齢で、部族の戦闘部隊長の息子だった。族長の座を狙うヤルマの親族グループは、族長のグループに反抗的で、その影響からヤルマも族長のグループを嫌っている。ラニタリは、族長の息子であり、同年ということで、なにかにつけてヤルマに嫌がらせを受けていた。
「今年、一番早く煙を上げるのは俺だ。そして父上が族長になる。お前のせいでお前の親父は、族長を辞めることになるんだ。」
ラニタリはこの言葉に危機感を覚えた。実際には、そのように事が運ぶはずはないのだが、ラニタリもヤルマも、今年の儀式次第で族長が入れ替わると信じている。例え妾の子と邪険に扱われようとも、族長の息子としての誇りがある。
絶対に失敗するわけにはいかない。