「壁」　6

月夜に照らされて、二人の少年が相対している。
手には各々、ナイフと剣が握られている。二人にはずいぶん長い間、そうして向かい合っているように感じられたが、実際はほんの数秒間そうしていただけだった。
不意にナイフ握る少年が口を開いた。
「俺はここまで来た。早く煙をあげろ！」
剣を握る少年は、強い口調に驚き、訳も分からず答えた。
「何を言っている？言葉が通じないのがわからないのか？」
「煙だ！なぜ煙をあげない！？」
「な、なんだ？何をそんなに叫んでいるんだ？」
剣の少年は、ナイフの少年の剣幕に押され、少し後ずさりした。
「煙だと言っているだろう！」
ナイフの少年はカッとなり、ナイフを握る右手を振り上げた。しかしその右手はすぐに力なく降ろされた。
いけない。ここでこの男を威かしすぎては、仲間を呼ばれてしまうかも知れない。この男と戦う必要はない。煙をあげてもらうだけでいいんだ。
すこし冷静さを取り戻すと、あることに気がついた。
そうか。この男には、俺の言葉が通じないのか。
そして少し考えると、手に持ったナイフを地面に投げ捨て、まずは戦う意思がないことを示した。そのあと、すぐ
近くにある松明を手に取り、剣の少年の前にかざした。
「松明？」
剣の少年は目の前に向けられた松明を見て、怪訝そうに呟いた。
ナイフの少年は、かざした松明を上下に振り、立ち上る煙を揺らめかせた。
剣の少年は揺らめく煙をしばし見つめ、ようやくあることに気がついた。
そうか。彼が藩の上で引き返さなかったのは、私が煙をあげることを忘れていたせいか。彼が仁王立ちになったり、見張り台までわざわざやってきたりしたのは、私に煙をあげることを要求していたのか。
彼の軽やかに縄を渡る様子に見とれ、あるいは威嚇の矢を撃ち続けることに気をとられ、一番大切な煙をあげるということを忘れてしまっていた。暗黙のルールなどないと思い込んでいたが、実際は自分がルールを破っていただけだったのだ。
「わかった、わかったよ。すぐに煙をあげるよ。」
とは言ったものの、彼は松明を上下に振り続けている。こちらが理解したことをどう伝えればよいのか。
剣の少年も握っていた剣を地面に投げ捨て、煙を指差しながらぎこちない笑顔を作った。自分がルールを破ったことに対しての申し訳なさが滲む笑顔だった。
「私、煙、あげる、理解した。」
煙や自分を交互に指さして、ナイフの少年に語りかけた。言葉が通じないことは分かっていても、語りかけずにはいられなかった。
するとナイフの少年もこちらの気持ちが通じたのか、ぎこちない笑顔を浮かべ、松明を振るのをやめた。化粧をしているその顔は恐ろしくもあったが、何かをやり遂げた満足感に満ちていた。
剣の少年はふいに走りだした。ナイフの少年はそれを見届けると、松明を元の場所に戻した。ちょうど松明台の隣には、小さな軍旗が飾られていた。ナイフの少年はその軍旗をグイと引き剥がすと、懐にしまった。見張り台まで到達した証が欲しかった。
剣の少年が煙を上げ終え見張り台に戻ると、すでにナイフの少年は関城を越えていた。ふと足元を見ると、虹色に染色された、大きな鳥の羽が落ちていた。彼が落としていった、飾り羽のようだった。剣の少年は羽を手に取ると、その美しさに見とれた。
まもなく、日が昇る。