「壁」 7 (最終話)

「失礼致します。バジー将軍がお見えです。」
「御苦労さま。通して下さい。」
「ハッ。」
若い兵士はそう言うと、一礼して出て行った。
今日は歴史的な日である。少しずつ少しずつ積み重ねていった蛮族との信頼関係により、長年の努力がついに実を結ぶ。もはや蛮族という呼称は失礼にあたる。会談では、失言せぬよう気をつけなければ。
ほどなく、先ほどの若い兵士が戻ってきた。
「失礼致します。バジー将軍をお連れ致しました。」
「うん、君は下がっていいよ。」
「ハッ。バジー将軍、どうぞこちらへ。」
兵士に促され、美しい白鬚をたくわえた男性が入ってきた。
「おじゃまするよ、陽将軍。」
「お待ちしておりました、バジー将軍。さ、こちらへ」
陽春はにこやかに出迎えると、誂えた来客用の椅子をすすめた。しかしバジーは座らず、建物を見渡しながら、
「それよりも陽将軍、このゲルは素晴らしいですな。まさか陽将軍が我々と同じようにゲルで起居されているとは、思いもよらなんだ。」
と言った。
バジーの感嘆の声に、陽春が応える。
「気に入って頂けたでしょうか?いつかバジー将軍をお迎えするにあたっては、やはり馴染みのあるゲルがふさわしいと思い、こちらの管理を任されることになった際に建てさせてもらったのですよ。」
「ハッハッハッ。それでは陽将軍は、今日この日が来るのを確信していたというわけか。それほどまでに我々との和睦を重んじて下さっていたとは。この和睦はすべて陽将軍あってのこと。我々は黙って時を待つだけでよかったというわけですな。」
「いいえ、バジー将軍。それは違います。私がそう確信したのは、あなたの存在があったからなのです。」
「私が?はて、私が何かしたという記憶は、とんとありませぬが・・・。」
怪訝な表情をするバジー。陽春が続ける。
「初めてバジー将軍にお会いした時、私は我々の言葉を解するあなたに驚かされました。通訳を介さず我々と意見を交換できる将軍を知った時、私は確信したのです。この方とであれば、きっと和睦の道を開くことができると。我々の言葉を身につけて下さったということは、我々を理解しようとして下さったということの表れ。そのような方が指揮官であれば、こんなに心強いものはない。」
「フフ。偶々です。偶々国境近くに生まれた故、自然と覚えたに過ぎません。もちろん、和睦を願っていたのに、違いはありませんが。」
「御謙遜を・・・。」
微笑む二人。ゲルが和やかな空気に包まれる。
「そうだ、陽将軍。土産があるのだ。気に入ってもらえると良いのだが。」
そう言うとバジーは持ってきた筒状の容器をドンッと机の上に置いた。
「この日のために仕込ませた、極上の馬乳酒だ。まだ日は明るいが、一杯やろうではないか。ウチの配下にも沢山持たせてきた。皆にも振る舞ってくれぃ。」
「しかしバジー将軍、まだ和睦の調印が・・・。」
「気にするな陽将軍、結果は決まっておろう。将軍がこの日の為に立てたゲルに、ワシが来た。それだけで、和睦が成ったようなもんじゃ。違うか?」
「確かに。では、お言葉に甘えさせていただくとしましょう。」
陽春に顔に笑みがこぼれた。
「少し風を入れましょうか。」
そう言うと陽春は出入り口にかかる帳を開いた。
「今宵は満月か。和睦にふさわしいな。」
差し込む白い光に眼を細めて、バジーが呟いた。
「満月と言えばバジー殿。今宵も何処かの『壁』を、化粧をした勇ましい若者がよじ登るのではないですか?」
「おお、陽殿。我々の儀式をご存じか!」
バジーが喜びと驚きの入り混じった声をあげる。
「ええ。国境付近に赴任した者なら、皆知っています。思えば古来、それが我々とあなた方との、唯一の矛を交えぬ交流と言えなくもなかった。」
「そうさな。二枚『壁』を越えたら、ワシは帰って行く決まりじゃものな。」
バジーは自らの若かりし頃に思いを馳せた。
「ワシが儀式に挑戦したのも、もう何十年前になるかな。ちょうどこの辺りの『壁』を越えてな、自分でも満足いく速さで二枚目の『壁』に到達したんじゃ。」
「ええ。」
「しかしな、その夜は不思議なことに、二枚『壁』を越えても、あがるはずの煙があがらんかった。『壁』の上でいくら喚こうとも、一向にな。」
「ふむ。」
陽春が相槌を打つ。
「業を煮やしたワシは、思いきって全部の壁を越えて見張り台まで行ってみた。すると丁度その頃のワシと同じぐらいの、歳の若い兵士が居てな。どうして煙をあげないんだと喚いたが、言葉が通じず困ってしまった。」
バジーはゴクリと杯の馬乳酒を飲み干す。
「しかし煙を上げるまでワシゃ帰れん。煙があがらねば、儀式は失敗。ワシは一族の中におれんくなるもんでな。そこで必死になって、その若者に煙を上げてもらうよう頼んだ。こう、松明を振ってな。」
身振り手振りを交えて話すバジー。その様子を陽春は黙って見ていた。
「敵味方など関係なく、必死な思いは通じるんじゃな。その若者は笑顔で応じてくれて、煙をあげてくれたんじゃ。あの時の若者の笑顔を、ワシは忘れられん。そして思った。いつか彼にお礼を言おう。その為にあなた方の言葉を身につけにゃならん、とな。」
「そうでしたか。」
そう言うと陽春は立ち上がり、仕事机の引き出しを開いた。
「どうした陽殿?」
問いかけるバジーに、陽春は美しい鳥の羽を差し出した。
「バジー殿。この羽はその時、あなたが落としていった飾りの羽です。煙を上げ忘れた私は、いつかあの勇ましい若者に謝ることを決めました。そしてそのことを忘れないために、いつもそばにこの羽を置いてきました。和睦が成った暁には、あの時の若者を何としても探し出すつもりでいたのです。」
「なんと!ではあの時の若者が陽殿、貴方だったのか。なんという・・・。」
「ええ、バジー殿。私の五十年来の誓いを果たさせて下さい。本当に申し訳ありませんでした。」
バッと床に伏すと、土下座する陽春。
「立って下され、陽殿。ワシにこそ誓いを果たさせてくれぃ。このラニタリ・バジー、心より感謝申し上げる。本当に、本当にありがとう。」
ラニタリは陽春の肩を抱いた。
二人は涙にむせんだ。
月夜の国境に、『壁』が静かに佇んでいた。

2011/02/13 | 創作

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