「壁」 陽春 2
辺りはシーンと静まり、左手に持った明かりの炎が弾ける音だけが聞こえている。陽春は今日初めて、一人で夜の番を務めている。陽春はこの夜番について説明を受けた日を思い出していた。
「満月の夜は、必ず侵入者が現われる。それも必ず一人で。」
「一人で、ですか?無謀ですね。」
「ところがそうでもないんだなぁ、これが。」
顎鬚をしごきながら、何鮮は愉快そうに笑う。
「あいつらは決まって、藩を越えてこっちが煙を出してやるとすぐ引き返すんだ。何の意味があるんだか知らねぇが、ずっと昔からそうだ。こっちもこっちでそれを知ってるから、威嚇程度に矢を撃って、警戒してる振りをすんだ。たまに間違って当てちまう奴もいるんだがな。」
そう言うと何鮮はまた顎鬚をしごき、ガハハと笑った。
何鮮が語った藩とは、『壁』のニ枚目のことを指す。『壁』は一枚目からそれぞれ、関城、藩、馮垣、女垣、大城と名前がついている。 関城と藩の間には堀が設けられており、そこには無数の茨が敷き詰められている。
「しかし夜間に煙を上げるというのは聞いたことがありませんが。第一、煙を上げたところで他の台からは見えないと思いますよ。」
陽春は生真面目な性格から何鮮の説明に、疑問に思ったことを率直に口に出した。
「細けぇことはいいんだよ、小僧。煙を上げてやるのは、侵入されましたよっていう合図さ。もうずっと昔からそういう決まりになってる。隣の台に見えねぇってことは、大きな騒ぎにもならねぇってことでもあるしな。」
「そういうものですか。」
陽春は納得のいったような、いかないような複雑な心境で、これ以上食い下がるのを止めることにした。
「そういうもんだ。そんで本題なんだが、次の満月の夜、その日の夜番はおめぇ一人でやってもらうことにした。俺らはその日、ちょっと村までいって一杯やってくる予定だ。よろしく頼むぜ。」
「え?ちょ、ちょっと待って下さい。夜番は三人一組という決まりではありませんか。しかも台の外に出てしまうなんて。規則を破るおつもりですか?」
あわてて騒ぎ出す陽春を見て、何鮮がうるさそうに応える。
「いちいちうるせぇ小僧だな。いいか、さっき説明しただろう。満月の日は必ず侵入者が一人でやってくる。そして藩を越えたら満足そうに帰っていくんだ。そういうふうになってんだよ。確かに侵入者がやってくる。これは間違いねぇ。でも必ず一人なんだ。そんですぐに帰っていく。それ以上のことはねぇんだから、こんなに安全な日はねぇだろ。」
何鮮たちの台では、満月の日は新入りに任せ、皆で酒を呑むのがひとつの決まりとなっていたのである。
「ほんじゃま、ひとつよろしく頼むわ。藩まで来たら煙を上げてやるのを忘れんなよ。」
ポンと陽春の右肩を叩くと、何鮮はどこかへ立ち去った。そして満月の日、日が傾きかけると、何鮮の言ったとおり台の男たちは陽春を一人残し、近くの村へ出かけていった。「満月の日は酒」というのは、この台の共通認識であることを陽春は改めて思い知らされた。
目を凝らしても、壁の向こうに人の気配は感じられない。何鮮の言ったことが本当であれば、この夜の間に侵入者がやってくるはずである。それは一体いつなのか。陽春は周囲に警戒しながら、ソワソワとした気分で辺りを行ったり来たりした。侵入者がやってくるということに対する緊張もあるが、何鮮たち台の兵士が規則を破って酒を飲んでいることに、嫌々ながらも加担しているということが陽春を不安にさせた。このことが誰かに知れれば、陽春も処罰の対象になる。
「困ったな・・・。」
言われたとおり、侵入者が藩を越えたら煙をあげ、侵入者を帰すのが無難に思える。しかしそれは、今後も台全体で規則を破ることに、ずっと加担し続けることを意味していた。
2010/10/21 | 創作
関連記事
-
「壁」 7 (最終話)
「失礼致します。バジー将軍がお見えです。」 「御苦労さま。通して下さい...
-
「壁」 ラニタリ 5
「何故だ!」 一つ目の『壁』に残る縄を巻き取りながら、ラニタリは叫んだ...
新着記事
-
「捗るぞ」ってのはこういうことなのね
更新しないうちに結構経ってしまった。 前回の更新以後、1つ歳...
-
倒れるまで働いた人を目撃
すき家が問題視されているワンオペを改めず、 店員が倒れたとい...
-
ログ・ホライズン見れないのも困るしね
今日はツインズの保育園進級式に出席。 彼らも早いもので下から...
PREV : 「壁」 ラニタリ 2
NEXT : 「壁」 ラニタリ 3
コメント/トラックバック
トラックバック用URL:
コメントフィード