「壁」 陽春 1

少年は月明かりを頼りに、じっと目を凝らしていた。いや、彼がこの表現を聞けば、
「私はもう子供ではない。」
と言うはずだから、少年という表現は適切ではないのかもしれない。彼の名は陽春。数え年で十四になる。
彼が自分は子供ではないと言い張るのは、所謂責任感がそうさせていた。現に今、彼は大人になろうとしている。大人にならざるを得ないと言った方がいいか。
彼は広大な国土を抱えるある帝国の一兵士として、とある辺境の地を警備する任務に就いている。この国の決まりでは、五百七十六戸の農家を一括りとして、その中から七十二人を兵士として供出しなければならないという税が定められていた。陽春はその七十二人のうちの一人ということになる。
実のところを言うと、彼は兵士として供出される運命にはなかった。本来は別の戸が供出する予定であったためである。陽春の両親は、その戸の主人に借金をしていた。それでもその借金の額は両親が健在であれば、ぎりぎり返済していけるほどの額であった。しかし、もともと身体の弱かった父が病に倒れこの世を去ると、途端にその返済を行うことができなくなってしまった。そこで兵士を供出する必要のあった主人が、陽春が兵役を肩代わりことで、借金をチャラにしてもよいと陽春の母親に持ちかけ、それを了承したという経緯である。
辺境へと旅立つ前日、独り旅立ちの準備をする陽春を、訪ねる者があった。
「陽春、こんなことになってしまって、本当に申し訳ない。」
「・・・。」
眉をひそめ、悲しげな表情を浮かべながら、すまなそうに頭を下げる青年を見つめると、陽春はふっと微笑んだ。
「いいんです好可さん。これは私が望んだことでもあるんですから。」
「しかし・・・。」
好可と呼ばれた青年は、もともと兵士として辺境へと赴くはずだった男である。陽春の父と好可の父は古くからの友人で、好可の家もそれほど裕福な家庭ではなかったが、困窮していた陽春の家族の為、快く借金を引き受けていた。陽春と好可も小さい頃からの付き合いで、互いに男一人の家庭で育った彼らは、年長の好可を兄として本当の兄弟のように心を通わせていた。
「謝らなければならないのは寧ろ私のほうです。たった五年の兵役と引き換えに、借金を無かったことにしていただけるなんて。本当に申し訳ありません。」
陽春はそう言うと、心からの謝意を込めて頭を下げた。
「やめてくれ、陽春。頭を上げてくれ。ただでさえお前は兵役の規定年齢には達していないし、それに古来征戦、幾人か回ると言うではないか。無事に帰ってくる保障はどこにもないんだぞ。それを私の代わりに・・・。」
好可は半ば泣き出しそうな顔で、陽春の笑顔を見つめる。
「何も心配することはありません。ただ決められた場所に立ち、じっと見張りをするだけだと聞いています。きっと危ないことはありませんから。」
笑顔でそう応える陽春を見て、好可は少しだけ心を明るくした。
「わかったよ。いつまでもうなだれていては、お前を気持ちよく送り出してやることは出来ないしな。」
「ええ、好可さんが今日こうやって、別れの挨拶に来ていただいただけで、私には十分すぎるほどです。」
「陽春・・・。」
好可は何かを閃いた様子で陽春の両手を強く握ると、
「よしわかった。無事にお前が帰ってきた時には、お前の欲しい書物を何でも買ってやるぞ。そして、その後はその本を使って、好きなだけ勉強するといい。その為に私は、これから五年間懸命に働いて、本を買う金を貯めることにしよう。」
「本当ですか。では『壁』に立って何を買ってもらうか、五年かけて考えることにします。」
「五年も考え続けるのか。参ったな。あまり沢山思いつかないようにしてくれよ。」
そう言うと好可はニコリと笑って、陽春の両手をまたぎゅっと強く握った。

2010/10/19 | 創作

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